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記者会見を開き、政界引退を表明した中村喜四郎氏=2024年9月24日、茨城県庁、富永鈴香撮影
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 茨城7区を地盤に15回の当選を重ねてきた中村喜四郎衆院議員(75)=比例北関東=が、政界を引退する。24日に開いた記者会見では引退後について「投票率を上げる国民運動を展開したい」と、政界以外での活動に意欲を見せた。

 政界引退のきっかけとなったのは、今春あった三つの衆院補選だった。

 無所属から立憲民主入りして挑んだ2021年の前回衆院選で初めて敗北し、自身が「おまけ当選」と言う比例復活。地元の支援者におわびして回り、野党入りしたことへの反発の強さを実感してきた。しかし、三つの衆院補選では自民が「全敗」。今年4月、島根1区では自民候補に立憲候補が勝利し、「流れが変わった」と感じた。

 それから地元で601回のミニ集会を開き、国政報告を続けた。「今の政治に対して国民が強い怒りを感じているという、政治家としての確信を持つ反応だった」と振り返る。これまで訴えてきた「与野党伯仲」に一定の道筋がついたと感じ、年齢も考慮して「新旧交代」することを決断した。8月末のことだ。

元気なうちにスパッと

 27歳で初当選。かつては「自民党のプリンス」と呼ばれ、43歳で旧建設相を務め、将来を期待された。しかし、ゼネコン汚職事件で逮捕され、実刑が確定して失職。2005年に国政に返り咲いてからは長らく無所属を貫いてきた。

 「国政の表舞台に立って活躍する姿をお見せしなければ」。無所属で勝てば勝つほど、そんなプレッシャーがあったと胸の内を明かした。

 日中はオートバイにまたがって選挙区をくまなく回り、夜は支援者の前で熱弁を振るう。そんなスタイルを貫いてきた。過去に、引き際は「オートバイに乗れなくなったら」と答えたこともあったが、体力の限界が引退の理由ではない。

 「元気なうちにスパッと辞める。それが長年支えていただいた支援者に対する私の最後のメッセージ」と話した。(宮廻潤子)

引退の決め手は? 後継者は?

 中村喜四郎氏の記者会見での…

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